24 手を濡らさずに水の中のものを取る1
世の中には苦しんでいる人が多い。いやほとんど全員が、何らかのことで苦しんでいる。お金がない、仕事がうまくいかない、家庭不和だ、父、母、子供の面倒を見るのが大変だ。逆に、孤独で寂しい、それが人生だよと言ってしまえば身も蓋もないのだが、とにかく苦しむことこそ人生のすべてなのだといわんばかりである。確か、サマセット モームの言葉だと記憶しているのだが、「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ」とある。
この記事は、その苦しみから救ってあげましょうという宗教的な内容ではない。ただ全員が苦しむというのには、やはり人間共通の何らかの原因があるのであろうし、その苦しみの中にも深い意味があると思うので、ここでは苦しみはどういうことにより生ずるのであるか?それには何か異議があるのか?というようなことについて考えてみたい。
苦しみとは何かと大上段に降りかぶっても茫漠として捉えどころがないので、少し視点をずらしてみよう。
苦しくないとはどういう状態なのであるか?この問いにはほとんどすべての人が一致した答えを出すであろう。「それはさ、すべてが満足されている状態のことだよ」と。では苦しんでいるというのは?と言うと、その逆である満足されていない状態であるというふうに言ってくる。満足するというのはどういう意味か?というと、自分の思った通り、自分の望んだ通りになっている状態のことである。だから満足されていない状態というのは、自分の思った通りになっていない、自分の望んだ通りになっていない状態となっているということである。
お金で言うと、今ここに1億円ないからと言って苦しみを感じる人はいないだろうが、晩飯を食う金がないという、切実な苦しい状態となっている場合はやはり苦しい。仕事で1億円の儲けを逃したというのは何とか諦めもつくであろうが、 1億円の穴を開けて、返済しなければならないとすると、これは苦しい。そういうふうに考えていくと、自分の思った通りになるというのは、自分の心の中に、ある理想状態があり、現実を考えて、それがどれぐらい自分に害を与えているのかということであって、絶対的基準は無い。晩飯が食えなくたって、まあ仕方ないか、明日までに食える方法を考えよう、と楽天的に考えられる人には、苦しみにはならない。つまり苦しみというのは、いかに自分の思い描く理想にとらわれているかどうかなのであって、”とらわれる”からはずれる、つまり今の晩飯の例で言うと、まあいいか、と思い返ることができれば苦しみとは言えなくなっている。苦しみは自分の心のとらわれ方によっているものなのだ。
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