26 手を濡らさずに水の中のものを取る3
同じ禅宗でも臨済宗は少し違う。唐末の、臨済義玄によってはじめられた宗派である。禅宗の祖とされる達磨(だるま)より数えて六代目の人である。
複雑なことはすべて切り捨てて、日本では、どのような教義でとらわれから外れようとするのか、だけに絞って考えてみる。
一言で言うと公案である。公案とはどういうものかというと、多少遊び心で考えても面白い。ちょっと覗いてみよう。ちょっとのつもりがのめり込んだら、いつしか臨済宗の坊お、さんになっていたなどということもあり得るかもしれない。その時はすでに悟りを開いているかもしれない。
では公案とはどういうものか?常識的には不可能なこと、考えられないような問題が出され、それを解くのである。公案の有名な書物に、碧巖録とか無門関とかがある。どういう考案があるかまず白隠恵鶴が作った有名なものから紹介しよう。世に解説書は数多あるので詳しくはそちらを見てほしいが、たとえばこう言うのがある。
「隻手の声」、両手を打つと音が鳴るのだが、片手ではどんな音がするか?白隠の作である。インターネットに答えは載っているのだが、この解説をわかる人は悟った人と思う。対象と自分が一体になると書いてあるが、どういうことかよくわからない。筆者も解説を読んだが、よくわからない。筆者の答えは正解ではないのだが、こういうふうに考えてみると面白い。
物理的に不可能という人が多いと思うが、物理をもう少し深く考えてみる。
音とは何か?音とは空気の振動である。その振動と鼓膜が共鳴し、脳の中で音と感ずるのである。両手を叩いた時どのような機構で音が出るか。左手の質量をm1速度を v1、右手の質量を m2、速度 をv2とすると、両手を叩き合わせるとm1・v1+ m2・v2の運動量を持っている。これが合わさった時 v1= v2= 0となるのだが、運動量は保存されるから、これが空気の振動に変換されたのである。エネルギー 1/ 2mv2乗のエネルギー保存則を使っても良い。さて、では片手の場合はどうか?確かにm1・v1の運動量があり v1=0となるのだが、この m1・v1という運動量は保存されるから、確かに空気の振動に変換されたはずなのである。つまり音はあるのだ 。99. 99%の人はこの音を聞くことができないかもしれない。でも世の中にはサバン症候群のような人がいて、この音を聞くことができる人がいるかもしれない。人間の耳は20hzから 2万ヘルツを聞くというが、世の中には 10万ヘルツを聞ける人がいるかもしれない。そういう人には常人の聞けない音がある。だから、隻手の音はある。音の存在証明はあるが、実態がつかめないだけである。これをどう捉えるか?解説では音と自分が一体になって感ずるなど書いてあるか、よくわからない。後は禅に任せよう。
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