㉔ いじめ
更新日:10月23日
現代ではいじめの問題というのは大きな社会問題となっています。なんとかいじめのない社会が実現することを筆者は強く望んでいます。
一見、閉鎖的な日本の風土特有のもののように考えられますが、さにあらず、諸外国でも各国なりに大きな問題のようです。いじめの件数から言うと世界第一位はスペイン、次にアメリカ、ドイツ、ブラジル、中国、韓国と続き、日本は世界で第七位だということです。つまりいじめの問題というのは、国柄を問わず、人間の本性に根ざした社会問題であるということです。
日本では被害者の立場に立ち、それをサポートするのが主流のようですが、西欧諸国では加害者側に立って指導、更生を行うことが主流になっていると聞きます。
さて、日本について、厚生労働省が発表した資料に基づきざっと見てみましょう。
いじめの態様としては、冷やかし、からかい、仲間外れが多く、多少の身体的暴力を入れると87%がそれに該当するとのことです。自分はそんなことはしないと思っておられる方が大半でしょうが、実を言うとこのいじめというのは微妙な心の綾によって起こるのですから、日本人ほぼ全員が加害者になったり被害者になったりするのです。これが人間の本性ということです。その原因は何かということに関する統計はないのですが、どうも周りと違いが目立ちすぎるようになると発生する傾向はあるようです。つまり仲間意識が強く異質なものを排除しようとする日本人の国民性と相まって、日本独特ないじめの形態が形作られていったと言ってもよいと思います。
一番多いのは小学校で、長ずるに従っていじめの件数は減ってくるようです。どこで発見されるかというと、学校でのアンケート調査によるものが主体を占めており、子供は自分からはなかなか言い出さないということが発見の遅れにつながっているようです。ですから、ことが重大になるまで気づかれないということが多いということです。
いじめに対しては相談窓口があり「24時間子供SOSダイヤル」(文部科学省)、「子供の人権110番」(法務省)等があり、そこへの相談ができるということです。
ここからは筆者の提言です。色々なブログで正統派の方々の意見があり、これはとても尊重すべきものであるということは論を待たないのですが、ここでは少し筆者独自の考えを述べさせていただきたいと思います。
現代はコンピューターの時代ですから、勢い何らかの解決を早くやりたいということでAIに問い合わせることも多いのではないかと思います。筆者はこれをあまりお勧めしません。 AIというのは人間の意見の平均値、最頻値を表したものです。科学的にわかっていることと、そうでないことの区別には役に立つかもしれませんが、いじめというのは微妙な人間の心のひだです。矛盾に満ち満ちているということも多いのですから、YES,NOだけの答えしかないAIでは本当は答えようがないのです。やはり解決には人間と人間の対話による方法しかありません。
ここから先は暴論になりそうなので、みなさんはここで読むのをやめていただいてもよいかも知れません。どうぞ悪しからず。
人間修業という点から考えてみると、程度の軽いいじめぐらいはあった方が良いかもしれません。つまり加害側が、もし逆に何らかの被害者になって、ハッと気づき、反省し、「ああ悪いことをした。今後はいじめはやめよう」と思い返せれば、それは人間的に大きな進歩であり、被害者側としても「このまま弱いだけじゃダメだ。もっと心が強くならなければ」と覚悟をするチャンスがあればこれも大きな人間的進歩と思えるからです。つまり。いじめが多少解消された、やれやれだ、で終わらせてはいけないということであります。
悪があるから、善が際立ち、善があるから悪が際立つのであって、いじめも何もないフラットな世界では人間修業などないといってもよいのではないかと思うからです。
しかし、そこには強力なサポート体制が必要です。加害側に対しては、突き詰めて猛省を促す指導が必要でしょうし、被害者側には「あなたは一人じゃないのよ、みんな助けに入っているんだから。なんでも言いなさいね」という肉声での援助がぜひとも必要です。ただ「強くなれ」では強くなれません。そんなことで強くなれれば苦労はないのです。ほんの少しずつ、ちょっとだけ思い返しを繰り返しつつ強くなっていく。それが本当の姿だと思っています。中には本当に性根の悪い奴らもいるかと思います。それに対しては少し強い罰が必要かとも思います。ただ更生を促すだけでは十分でないようにも思えます。少しばかり痛い目を見せないといけません。
筆者は中学の時に、クラスで勉強があまり出来なくて馬鹿にされ、いじめられていた学友を知っております。筆者は級長をやっていたので、その学友と昼食を一緒にしようとか色々サポートしたつもりですが、筆者がその学友の味方に入ったことで、みんなも表立ってはあまりいじめに走らなくなってきたような記憶があります。いじめられた方も筆者を信頼し、無事卒業まで大過なく過ごせたような気がします。やはり信頼です。
筆者から見ると、加害者も被害者も覚悟のない弱々しい存在であるようにも見えてしまいます。人間の一生はどれぐらい覚悟できるかによって良くも悪しくもなると思います。被害者の方も心に少しだけ余裕を作り出し、(それにはたっぷり寝ることですよ!)自分を飛躍させるチャンスであるということに気づけば、これはその人にとって大きな人生の収穫になると信じています。天はおそらく言っています。「よく考えて、覚悟を決めて強くなりなさい」と。それこそが天命です。
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