⑳ 動物と植物
更新日:10月18日
このブログの記事の中で、動物というのは異種間のの命のリレーを行っているのであり、植物では同種間の命のリレーが行われているということは述べた。そして生きるためには個体の維持のための食と種維持のための性があるということも述べた。食と性というのは生物体にとって最も基本的な営みであり、それについてはネットを開くといろいろな方が独自の意見を述べておられる。それらを否定するつもりは毛頭無い。ここでは筆者の考えに沿って、少し違った観点からこの食と性、そしてそれに連なる動物と植物の違いからその共通点も探っていきたいと思っている。
食と性に関しては動物と植物は真逆になっている。動物は人前で経口的にものを食べるのは当然だが、性の方はどちらかというとこっそりと済ます。植物は、栄養素の取り入れは根であり人知れずこっそりやっているのだが、性の方は花が咲き「ホラホラミテミテ、ワタシキレイデショ」と言わんばかりに大っぴらに開示されている。つまり我々人間が綺麗だなあと思っている花は、実は生殖器官そのものなのである。だから人間が、ああ、あの花と同じよう奇麗になりたいなどと思うと、えらいことになる。逆立ちして裸で生殖器を露出。口は隠して地上にある栄養物をこっそり食べる。とても軽犯罪法違反ぐらいでは済まない状態となる。性は大っぴらに食はこっそりと。なんともおぞましい話になってしまったが、これが植物の正体なのである。動物と植物の食と性は真逆になっている。
世に動物と植物の違いを述べた本は多数ある。すべてその本質的な違いを述べているのではなく、科学の特徴である現実の統計的現象から類推されたものがほとんどである。では動物と植物の本質的違いとか共通点とは何か。ここでは科学を離れてみる。
まずその系統発生から見てみよう。植物には自身を支えるための細胞壁がある。動かないで直立するためには必要であろう。葉緑体、ミトコンドリアを持っている。ここが植物としての同種間の命のリレーの特徴なのだが、自分のことは自分で完結してしまおうという姿勢である。葉緑体でデンプンを作り、ミトコンドリアでそれをエネルギーに変える。葉緑体を持たない植物もある。腐生植物というが、自分でエネルギーを作り出せない代わりに、多くの菌類と共生生活を送っている。つまり生きるエネルギーを菌からもらっているのである。色は真っ白であったり、真っ黒であったりする。
では葉緑体とは何か?ミトコンドリアとは何か?エネルギーを作り出す器官というのは表面的なことなのだが、その正体は何か?実は二つとも太古の原核生物だったらしい。これが他の植物の原型となる生物と共生し、ギブアンドテイクで住むようになったと考えるのがどうも正しい。動物細胞は葉緑体を持っていない。これは異種間の命のリレーを司るものとして、「動く」というのがその基本になるからである。植物の持つ葉緑体、ミトコンドリアを栄養として取り込むことが草食動物で、そしてその取り込まれている葉緑体、ミトコンドリアは分解され栄養となり動物体内で合成され、共生するようになる。その草食動物より動物部分と胃の中にある植物の部分とを摂取するのが肉食動物である。そして食物連鎖が起こる。何のために異種の命のリレーが行われると言えば、それこそが天命である。食物連鎖の上位にあるものは下位にあるものの天命をを受け継いでいるわけだから、より高い天命が与えられていると思う。ライオンはその頂点であるが、どういう天命があるのか、それは神のみぞ知ることになるのだが、草食動物の為しえない天命というものをライオンが担っていると思えてくる。
ユーグレナというものがある。かなりの種類があるようだが、動物のように二本の鞭毛を持ち、動き回る。しかも葉緑体を持っている種が多い。生殖は単なる分裂によって起こるらしい。動くという点では動物だが、葉緑体を持っているという点では植物である。昔から動物か植物かとの議論の多い生命体であるが、どうもある鞭毛を持った細菌と原核生物を起源に持つ葉緑体が共生したものと思われる。つまり動物でありかつ植物でもある。言い方は変であるが動物と植物のハイブリッドである。ビオランテである。
つまり動物も植物も他の少数小生命体と共生することにより成り立っていると言える。これが動物と植物の共通点である。その仲介となっているのがおそらくウイルスである。バクテリオファージを介して水平移行してDNAを運ぶ。うまく共生できるようなら住み着くだろう。こう考えると動物と植物の境界がもっとぼやけて来る。生命体は個々の容貌に違いはあっても、動物、植物を全部含めて一つの大きな種なのであって、動物も植物も皆同類という感じがしてくる。そうすると、ガイア仮説もあながち荒唐無稽とは言い切れなくなってくる。
我々も、ただ、うまいそば、ステーキを食べるというだけではなく、我々は生命の異種間の命のリレーを行っているのだということを自覚しなければならない。これは取りも直さず食べられる方の人生の残りを引き受けているというのであるから、「よし俺に任せておけ、君らの人生の残りはは俺が引き受けた」という覚悟で食物を食し、人間としての自分を高めていくべきだと思う。これが異種間の生命を引き受けるという意味である。また、これこそが天命なのである。
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