⑫ 清貧の生活~つづき
更新日:10月18日
前の記事で、筆者はほぼ清貧に近い生活を送っていることは述べた。お金はなくとも優雅に、生き生きとした生活が手に入ったと思っている。この記事では筆者自身の生活ではなく、清貧の生活を送っておられる、ほかの方々を少し覗いてみたい。
貧乏な生活をしておられる方は多数おられると思うが、大半は負け組的思いで、チャンスがあればもういちど富裕の生活をしたいという方が大半であろう。しかし、これは清貧とは少し違う。清貧とは貧乏でも清く正しくという意味である。筆者の言う清貧とは積極的清貧、進んで金の呪縛から離れ、金では得られない、生き生きとした気持ちを手に入れることである。こういう目で積極的清貧を行っている方を見てみると、ほとんどの方に一種の宗教的考えが具備している。
筆者がまだ子供の頃、筆者の父はある修験道の行者の方と懇意にしていた。その行者の方は身なりはかなり貧素で、大きな声でお経を真剣に挙げておられる姿をよく見た。一度、その行者の方の住まいに父親と同行したことがあるのだが、清貧を絵に描いたようなもので、まず、あばら屋、家具等は一切なし。ただし祭壇は大きく、大きなろうそくが備えられてあったことを記憶している。その行者の方はもちろん最低レベルの貧困であったのだろうが、始終にこにこして、親しく親父と話をしていたのを思い出す。どんな願いも気さくに相談に乗っていたらしく、親父が真剣に人事の悩みを打ち明けるとすぐ、神様に聞いてみましょうと、大声で念仏を本当に真剣に唱えておられた。どうもなにやら不可思議な力で耳に聞こえてくるらしい。またそれがよく当たるのだ。摩訶不思議。とても科学の及ぶ所ではなかったような気がする。
天台宗の千日回峰行というのがある。我々は簡単に千日回峰などというが、やっておられるご本人は命をかけておられる。比叡山の例を挙げてみよう 。7年間で 千日間回峰をやる。
まず作法と所作を学んだ後、初めの 3年間は 100日回峰を行う。歩く距離は、1日 30km。 255カ所の霊所を巡拝する。続く2年間は 1年 200日。歩く距離は 1日 40km。この 5年を終えると、 9日間、断食、断水、不眠、不臥行に入る。医学的にはこれは死ぬ。しかし行者はギリギリのところで生き残る。これを終えて 6年目は 1年間 100日の行。 1日に歩く距離は 60km。巡回する場所も266カ所となり、 7年目は 100日間 。歩く距離1日 84km。 300か所の巡拝。睡眠は1日 2時間。夜中の 12時に起きて歩き始める。最後の100日間は当初の1日 30kmに戻る。合計1000日間。歩く距離は地球一周に匹敵する4万 kmに及ぶ。食べるものはそばと少量の野菜のみ。
いかがか?清貧などどこかへ吹っ飛んでしまいそうな荒業ではないか。この千日回峰行を終えると、不可思議な力が身に備わると言われている。聞いたところによると線香の灰は通常ぽとりと落ちるのだが、回峰行をやった方にはゆっくりと、まるで時間の進み方が遅くなったようにゆらりと落ちると言われている。筆者はまだ甘い清貧の生活をしているだけであるが、こういう荒行の後には科学的な考えが及びもつかないような不可思議な世界が横たわっているようである。科学でわかっているのはただ表層のことだけである。自然科学と離れた生活をしていると、もしかしたら物事の本質が見えてくるのかもしれない。
コメント